昭和45年11月30日 朝の御理解



 御理解 第28節
 「病人や代々難儀の続く人が神のおかげを受けるのは、井戸がえをするに、八、九分かえて、退屈してやめれば、掃除はできぬ、それで、やはり水は濁っておるようなもので、信心も途中でやめれば病気災難の根は切れぬ。井戸は清水になるまで、病気災難は根の切れるまで、一心に、まめで繁盛するよう元気な心で信心せよ。」

 病気叉は代々難儀の続くとか。私は今日は病気とか災難とかという風に言うておられます。もちろんそれをひっくるめての事でございますけれども。私共が言う難儀。いわゆる難儀という難儀から、開放されるという事。もちろんここに病人や、叉は次々難儀な病気災難とこう言っておられますね。もちろん病気災難は難儀ですけれども、私共が困ったとか難儀とかと感じるいわゆる難儀。
 いうならば形の上だけではなくて、心の上に感じる難儀。そういう難儀が開放される。難儀から開放されると。だからそこまで一つお互いの信心が進められなければ。もう十年したから二十年したからという信心ではなくて。自分の心の上にね、やはり八分目九分目で退屈して信心をしておっても、そこの所に取り組まなかったら、いつまでも難儀はだから続く事になります。いつまでも井戸の水が濁っておるようなものなんだ。
 あらゆるチャンスをとらえては、いわゆる心の井戸がえですよね。心の井戸がえを私はさせてもらう。おかげは和賀心にある、おかげは和らぎ賀ぶ心にあると仰せられますから、だからそれと反対に、和賀心でない心は、だから難儀だという事になりましょう。おかげと反対の事になるですよね。今日ねそういう所から、28節を頂いてみたいと思います。なるほど家に次々難儀な事が起こってくる。災難が起きてくる。
 あれほど信心しよんなさるのにとか。叉は自分でもこれ程信心するのに、どうしてと言った様な悲しい事や苦しい事が起きてくる。だからそういうおかげをね頂かして頂くという事も勿論の事。けども私は今日ここん所をですね自分の心の中に感ずるいうなら病気災難であ。自分の心です。いうなら心自体が病気をしておる。心自体がいつも傷だらけ災難の受けどおし。是ではね私は難儀から 開放される事は出来んと思う。
 おかげが、いわゆる和賀心なら、災難も叉、自らの心であると悟らせて頂いて、心の井戸がえを一つ、本気でさして頂かにゃいけん。わかっちゃおる。わかっちゃおるけれども、心ん中に、例えば苦しいものを、感じるとするなら。または悲しい事を感じるとするなら、腹立たしいものを感じるとするなら、まだまだ自分の心の井戸ざらえがでけとらん証拠だと思うて、一つ本気で自分の心の井戸ざらいをね、させて頂かにゃいけん心の井戸ざらえが出来ますと、そこにはね難儀という事はなくなってくる。
 自分の心に難儀という事が、感じられなくなってくるから、形に現れてくるものも、自然解消してくる。おかげは和賀心にあるのです。あぁ中々人間の心というものは、いつも濁っているとか。いつも汚れておると。だから清まる事はとても到底、ほんなら井戸ざらえをするようにすっきりと出来ないと。と、匙を投げずにです。信心は結局、そこに取り組んでいく事だと、思わにゃいかん。病気災難の根が心にある。叉は心自体がいつも病気災難にさいなまれておる。
 おんなじ事柄の中にあってもです、甲の人はそれを非常に難儀と感じておる。ところが乙の人は、それをさほどにも難儀とは感じていない。丙の人はむしろその事を有難いと頂いておるとおんなし事だ。だからその事をです有難く感じれれる所にですね、私は心がすっきりと、清まっておる人の姿だと思うですね。だから出来る事ならね、そういう日々を一つ送りたい。いや叉日々そういう所に焦点を置いて、信心の稽古をさせて頂きたい。心がいつも何か弾んでいる。
 今朝いつものように、ここに三時半に出らせて頂いて、開けたらもうあのボタン雪が廊下いっぱい真っ白。途端に心が弾む。私大体御祈念の座に出るまでは、ものを言わない事にしとるけども、今日は何か知らん心が弾む。姿をこう白い屋根が、それからこう廊下に吹っ飛んでくる。その何か知らん子供のように心が弾んでくる。御礼を終わってから、もう誰にでんこれを知らせたい。
 ちょいと今日は雪の降りよるばい。ちょいと起きらんのと言うてさるきたいごたる衝動が心の中に、いわゆる弾んでくる子供のように。久富さんがここへ御広前も出ておられましたから、ちょいと繁雄さん繁雄さん、今日は雪の降りよるよと言うて、今日は私ははじめて御祈念前に、そう言う様な事を言うたり、またそのしたりして自分ながらおかしいぐらいに、どうしてこんなに雨だったら、そういうことは感じんけれども。
 初めての初雪ですよね今日。しかもぼたん雪がいっぱい廊下は真っ白になってる。ちょいと見てご覧。も雪が真っ白。と言うてまぁ一緒に叉 雪景色を拝ませて頂いたんですけれどもね。私はいつもこの様にね、心が生き生きと弾んでおったら、有難いと思うね。ゴムまりの様である。見るもの聞くものがです。例えばほんなら初雪を見たように、それこそ恐らく年寄りでも、今日の初雪を見たら心が弾むのじゃないかと思う。
 いや今日は雪だなと。ところが例えばこれがほんなら、雪国の人で。もう冬の間は 雪の中に閉ざされ、籠っておらなければならないという人達が、雪を見ても私が感じたような感動は、受けられないだろと。はぁ叉雪かと言うことになるだろう。おんなじ雪なんだけどどこが違うかと。今掃わいたばかりの廊下を、叉子供達がもう汚したこんなに散らかした。もういくらしたっちゃ同じこつと。と言うて子供を例えば怒る親が、まぁあるといたしますかね。又は子供達が散らかしたり破ったりする。
 子供達が元気な印だと喜んで、又掃わいたり拭いたり出来る親があると致しますかね。汚されておるとか、散らかされておるという事は同じ事なんです。その人のいわば受け方。その人の感じ方が違う。そこにね私は心の言うならば掃除がでけた。心の掃除ができておる人、できてない人の違いがそこにあると思いますね。昨日は久富先生のところの、三番目の息子ですね。
 つぐよしさんが事故で亡くなりましてから、ちょうどまる十年になります。まぁ久富先生の家族の方が、皆んなそうだったでしょうけども、取分け久富先生は、一月ぐらい前から、それをなにかもう、それこそ大変な、楽しい事を待つようにして、いろいろと、心を配り、心の準備がなされて。お掃除でも、何日も前から、おそらく大掃除をなさったじゃろうと思いました。
 昨日行ってから。隅から隅ま、綺麗に取り片付けができて。そういう身近な兄弟達、それにまぁおじさん達が集まっての、十年の式年祭がありました。私と上野先生が二人で奉仕させて頂いた。本当にまぁ有難いお祭りでした。本当に御霊様が喜ばれただろうと思われるようなお祭りでした。そういうお祭を奉仕させて頂く。朝からその事をお願いさせて頂いて、私の心の中にですね繰り返し浮かんでくる事。
 それはねこういう事であった。私丁度高橋さんが見えたから、高橋さんにその事を私はまだ朝のうちでしたね、話した事でしたけれど。これは誰だったかね。今俳句の大変有名な先生ですね、今のその方がねこういう句を作ってるんですよ。「春はゆく、習いなれども、しかれども」という句です。春はゆくゆく春と申しましょう。その事ですね。「春はゆく習いなれどもしかれども」これが繰り返し繰り返し、私の心に感じられる、いわゆる、朝の内にね、そういう感じが心に浮かんでくる。
 これはこの句を作った人が、奥さんを亡くされた時に、作られた句とこの句に説明してありました。しかも自分の作風ではなくて、一茶の作風句風ですねいわゆる。一茶の流儀を真似てと、それの下に書いてあります。なるほど一茶が読みそうな感じの雰囲気をもった句ですね。「春はゆく 習いなれども しかれども」と。もう春はゆくものだと決まっている。人間は老少不定誰が先にいくやらわからん。
 どうせ一遍は行くのだと言う事がわかっておるけれども、けれどもという訳ですね。けれども、矢張り淋しい、矢張り悲しいという、私は意味だとこう思います。「春はゆく 習成れども しかれども」私、昨日、久富先生のとこに行ってそれを感じました。お神様のお祭りしてある部屋で、つぐよしさんの写真が掛けてありました。もう今にももの言い掛けるような 感じで写しておる、元気な時のお写真です。
 本当に親は子供の親に先立った子供の事を、いつまでたっても思わない親はありますまい。あれがおったらとそれこそ死んだ子の年を数えるという、なぁにもならん事だけれども、矢張りしかれどもである。あれがおったらなとこう思う。そう言う様な事から、昨日はあちらで、御理解を頂きました。お神様にお礼を申さして頂いて、今日の御霊の安らぎ、これからの又遺族者の信心の事を、色々お願いさして頂いておりましたらね、やはり俳句の、それから頂くんです。
 昔、蕪村という人がありましたね。大変有名な俳句を作る人です。蕪村の確かに作だったと思いますがね。「荒熊の駆け散らしてや笹の雪」ということを頂いた。「荒熊の駆け散らしてや笹の雪」次にね「宿貸せと刀投げだす吹雪かな」と「宿貸せと刀投げだす 吹雪かな」あぁこれが今日の、御理解になるんだなと思わして頂いた。久富先生あたりのお家の、家の事を思いますと確かにねそれこそ、久富の家の中をかき回したりかき散らかしたりするように、次々といわゆる難儀災難が襲うてきておる。
 いうならこれ程信心するのにと、感じられるほど。あれだけの信心が出来よんなさるとへ、どうしてと、又、脇のもんが思うても、そう言う様な事が続いておる。それこそ「荒熊の 駆け散らしてや 笹の雪」である。けれどもねそういう例えば、中にあってももしここに、いうならば句心のある人がね、その状態を見たら、どういう事になるかと言うと、荒熊の 駆け散らしたような、そこにです、そういう、深い意味の句がでけておるようなものであって。
 家の中をかき混ぜられるような。例えば、めぐりの為に、かき回されるような事が続いておる中にあってもです。私は、ありがたいと、信心頂いておるという事はありがたいなと、ありがたく頂けれる道が、私は、信心の道だと思う。そこにはどういう事になってまいりますでしょうかね。なるほど悲しい事難儀な事なのである。これより難儀な事はない。けれどもめぐりのお取り払いを頂いて、ありがたいと。
 まあ簡単に言うとですね。だから、そういう心の状態が、頂けれる為に、どのような信心させて頂いたらよいかというと、私は「宿貸せと 刀投げだす 吹雪かな」という信心だと思うですね。刀投げ出すというのですからやはり侍でしょう。この山一山越えてと思うて来たのだけども、あまりもの猛吹雪に出会って、もう越せそうもない。そこで一軒の、お百姓屋というか、あばら家に、飛び込んで、雪のこれに難渋しておる姿が、そこにありありと感じられます。もう士分も名分もない。
 侍も身分などは言うておられない。一番口に侍の一番大事な刀を投げ出してから、宿を請うておる情景でございましょう。「宿貸せと刀投げだす 吹雪かな」お互、信心をさせて頂いてですね、本当に私共、例えばそういう難儀を感ずる時。もう行き詰まりを感ずる時。もう駄目だと思うような時。もうそういう時には、恥も外聞も投げ捨てて、刀投げ出して、宿を請うという心の状態が出来てこなければ駄目です。
 障子一重がままならぬ人の身であるという、自覚に立つという事です。神様にすがらなけば出来る事じゃないということです。ところがまぁだ自分が出来ると言う様な思い方がです、又は、思い上がりがです。いつまでたっても難儀が絶えない。難儀が切れない事になるのじゃないでしょうか。全身全霊を、いわば投げ出して 神様におすがりをする。そこから開けてくる信心。そこから開けてくる道。
 それがです、例えば人間の最大の悲しみに出会いましてもです。なるほど、悲しい事は悲しいけれども、信心をさせて頂いておるという事は、なんと、ありがたいことであろうかという、そのありがたいものが、非常に強くなってまいりますから、悲しい事は薄らいでくる。いや、無くなってくる。ただ、お礼を申し上げるだけになってくる。というて、私は、私自身のことを、まあ、昨日も聞いてもらった。
 私の弟が戦死をした。丁度、終戦十五日前であった。もう十五日、何とか神様ならなかっただろうか。七年間も兵隊生活をしておる。その中のたった十五日もう十五日間、兵隊生活をさせて頂いておったら、こういう災難難儀は感じんですんだ。神様どうしてと例えば思うような中にありましたけれどもです。おかげで信心を頂いておりましたおかげで。そこから、いうなら、刀投げだす吹雪かなという、いわゆる、もう、身も心も投げ出しての神様へのおすがりになった。
 そこから思いもかけない道が開けてきた。恐らくあの災難に出会ってなかったら、現在の合楽はないかもしれん。してみるとその事は悲しい事であるけれども、あの戦死の報を聞いた。あの時にゃ目の前が真っ暗なるようにあったけれども。その事のおかげが、生き生きと輝かしいものに生きてきた。そこに弟の御霊にお礼が言えれるおかげという事がです。春は行く 習いなれども しかれども 淋しい。
 けれどもその事がこの様に有難い事になってきたという おかげの頂けれる道が、私は、御道の信心だと思う。すべての事がどうでしょう。そういう悲しい、人間の一番悲しい事に出会ってもその事がです、有難いという事になってくる。そこには私は心の井戸がえが出来た人の姿があると思う。そこでね私は色々まあ、感じさせて頂くんのですけれども、そういう例えば難儀を感ずる事が、どこに原因があるかというとね、出来るという今日私出来るということを漢字で頂いた。
 自分が出来るだから私は思うとですね、できる人ほど難儀だと思いますね。例えばお料理が上手な人ほど、難儀しなきゃなりません。頭が出来る人ほ、難儀が付きまといます。仕事が出来る人ほど、心ん中に難儀を感じます。私は本当に思いますね。人間関係なんかはね、もう出来る人がおると、絶対出来る人ばっかりのとこだったら、もう人間関係で必ず難儀しますよ。
 例えば嫁ごをもらう。嫁ごは料理をしきらん。おっ母さんが料理が出来る。家の嫁は、なぁにもしきらん。馬鹿んごたっでしょうが出来る事が。自分が出来んと嫁ごがしくじると、それが嬉しい。はぁご飯も炊っきらっしゃる、おつゆも作りきらっしゃる。所が自分自身が出来るとですね、まなんちゅうこつこげな味付けしてからとか、こげなご飯炊いてからとかち言うてから、いつも難儀を感じんならん出来るからです。
 これはね一つ本気、出来ない私に、いっぺん白紙にならなきゃいけないと思うね。そして出来ない私という自覚なんです。だから皆さんにね、例えばこりゃあの料理の事だけじゃないです。も全てそうです。だから料理学校なんかにゃもう行きなさんな、ち言う意味じゃないですよ。そりゃもう美味しいもの作りきる。家内はもう本当に一生の幸せですね、ある意味では。
 けれども出来る家内は不幸せなんです。親父だけはおごっとりゃよかけん、よかばってんからね。ところが出来る家内は一生苦労せんならん。自分が一生懸命やらにゃいけん。あなたが作ったつが美味しかけんで、ああたがお願いします。そしてこんだ人ん作ったつは美味しゅうなか。そるけんやっぱ自分がせんならん。だから自分がしゃっちどうかこうかせにゃいけん。例えば私どんがごとなぁにもでけん、ほんなら出来んでしょうが。誰かが、なんかこうやって下さる。もう私以上の事をやって下さる。
 だかいつも満足。そういうおかげを頂きたい。だから出来るという事。自分が出来るという事が難儀の元だと。そこでです私がほんなら、料理学校にも行かんが良いというのじゃなくて料理学校にも行かなならんけれども、料理学校にも通わせて頂いた。おかげでこのような味付けも覚えさせて頂いた。こういう事が出来る私にならせて頂いた。人よりも二倍も三倍も働かして頂く事が出来ると、その事がだから出来させて頂くという事になると、こりゃ大変な幸せです。
 自分が出来るという時にはもう絶対不幸せです。いうならまぁ月並みな言葉で言うなら、我が出るからです。自分が思い上がりがあるからです。神様にさせて頂く。神様から作らせて頂くと。神様から味を付けさせて頂くと。自分が出来よるのじゃない、神様のおかげで出来ておるんだと。そこには自分も、又そのおいしい料理を食べる人は、なおさらなこと、それを造る人もなおさらの事、ありがたい楽しい事になる、料理をするという事自体が。こりゃ、気がきいとる人ほど難儀という事にもなってくるです。
 ぼんやりしとる人ほど幸せ。気が付かんもん。気が付くともう隅から隅まで気が付いて、まどうして気がつかんじゃろか。どうしてうちの嫁は、びったれじゃろかと言うてから、ずうっと心ん中が悩みでこたえん。と言うて口に出して言うわけにはいかんから、心ん中がずっと腐ってくる。だから心ん中の病気がそげんして出来て来る。心の病気があって、いわば幸せな事があろうはずがない。
 そこになるほど、心の井戸ざらえということが感じられるでしょうが。ところがほんなら実際私共は心が腐りですね、心が小さくもう本当に、おかげを頂きませんけれども、そこにお取次ぎを頂いてお願いをするという事からです。神様がもうあの手この手をもって、井戸ざらいの方法を教えて下さる。心の助かっていく道を道付けして下さる。しかも神様が、手を差し伸べんばかりにして教えて下さる。
 そこに信心させて頂くものの幸せがございますですね。そこからでなかった元気な心も、改めて元気な心がいわゆる心が弾んでくる。今朝私が初雪を見て心が弾んだように。
 昨日、久富先生所のお祭を終えてから、敬親会でしたから少し早めに帰った。帰ってあの新道まで出た時に、ふっと思い出した事がある。昨日北野の上野さんですね。上野先生んとこの里です。
 あちらの家内が、佳子さんが毎朝、あぁして参って来てから、昨日お届けしておった事がある。又一昨日からずっとお届けしとる事がある。今度おかげを頂いて、土地を買わせて頂いて立派な家。私は昨日行ってから、あまり立派な家なのでびっくりした。こんなに大きな家とは思わなかった。じつにま、恰好のいい家が出来ております。ほれであそこを出た途端に、それを思い出したから、ほんに上野さんあんたんとこ、ちょいと寄らせて頂こう。先日から佳子さんがお届けしておる。
 お神様のお座敷に、お神様お祭りするんですけれども、そのどういう格好にお祭りし、入れてよいかわからん。そのために大工が仕事が出来んで困っておる。そんなら秋永先生になっとん、一遍行って貰ってから、秋永先生の感覚で指図して貰ったらいいねと、言いよったけれど、丁度その朝に限って、秋永先生が見えなかった。昨日だったかな、昨日の朝だった。それで秋永先生もとにかく、私が見てみろうと。そして私が大工に指図させて頂こうと思うて、私参りました。ほんなすぐそばで御座いますから。
 そしたら丁度棟梁も来ておった。敏男さんねご主人です。敏男さんもほんな今きたちいう所であった。丁度良かった。今日はちょっとあんたげんお神様ん、なにかどげなふうにしとるか見げ来たち言うたら、もう本当にもう嬉しい顔ちゃこげな顔じゃろかち思うごたる顔しました 敏男さんが。大体この人はぶうっとしとるごたる顔しとりますもんね、大体。それこ妙な男です。
 ところがもう昨日はもう、なんかさらっとした、嬉しゅうて応えんち言うごたる、その、顔をしてですね、その話し合いをするんですよ大工と。もう大工がそげん事出来んち言いよる。で私がでけん事なかちそげんせんのち私が言うた。出来るとばってんまぁ面倒くさいとですよね。もし出来とるもんじゃから。こげんせまか御神様にこげん長か八足作らにゃんごたる感じの風にしとるとです。
 そるけんここんところばここにこう棚ばいっちょ作って、こうすると下に御神具容れがでけて恰好のええ、高橋さん方やら正義さん方とのような御神前が、丁度一間取っちゃるとですもんまん中に柱だけとる。それでこげんせまか事になってる。そりゃぁああたもう下から、こうやって拝むならばも、八足のこげん高か八足を作 らにゃんごとなってくるとじゃん。はぁ分からんもんちゃほんにし様がないと私は思いました。
 だからおかげで、指図を終わらせて頂いたらですたい。例えばほんなら、どうしてその敏雄さんがねああいう嬉しい顔をしたじゃろかち、私は思いますと。私はやっぱり兄弟だと思いましたね。今この頃あの楽の稽古に、笛(てき)の稽古をさして貰いよりますばってん。この頃そのやっぱ忙しかったり熱心にしないわけです。だからもう皆さんが来るたんべんに、もうあぁた神様がこげん、御用をさせて下さるとに、出てもこんなと言うて、いつも文句を言うわけです。
 昨日二、三日前も丁度出て来ました途端に 先生がこけ座っとった。それでなんかその文句を言うたらしいです。だから腹けぇちからそのままつうんと、私にはものも言わんな帰っとる。その後にそのいわゆる間取りの事が出てきたもんじゃけんまぁ、私にも会われん、参ってもこられんちいうごつなっとるから、まぁ一番悲しいとは佳子さんですたい。もぉうちの主人が、心がこまいもんじゃから。
 毎日その御届けがあっとる。私は昨日でそれ思いましたよ。どういう心がこまかっても、どんなに心が汚なかってもね、清めて下さる大きくして下さろうという、それをね。神様が手を差し伸べて下さると願っとれば、お取次ぎを頂いておれば。だからどういうそんなら難儀な心の状態、心の腐っておる状態のものであってもです、神様が一遍に清めて下さる働きを下さる。いくらやかましゅう言われたっちゃ、姉さんは姉さん。又上野先生からいえば弟は弟。
 だから上野先生も嬉しかったろ、有難かったろうが、敏雄さん自身が、とにかく私はあんな敏雄さんの嬉しい顔を見た事がないぐらいな、嬉しい顔しました。で佳子は今日は久留米に行っとりますけん、佳子が帰ってきたなら喜ぶち。なんの自分が喜びよった。(笑い)本当に、私は涙の出るごと嬉しかった、私自身もどうでしょうそういう雰囲気の中に、さぁ御神様はそのままほうからけとかにゃん。あぁちょいと合楽にはもう、姉さんがおるけんでもう、(笑い)どうか、妙なふうちいうごたる風ならですね。
 もう兄弟の仲もさらっとでけた。又神様が私との間に別に何があるわけじゃないけれども。この頃楽なら楽のあのご無礼しとるとで、ちぃった気の毒かとこのあるとじゃん。それがも一遍で取れてしもたという感じ。恐らくこんだまた、楽人のほうにも力を入れるこっじゃろうと思いますよ。というようにですね。例えばそういう心の腐っておる人、こまい人でもです、神様が大きくして下さろう、清めてやろうという働きがね、お取次ぎを頂いて願うていくところから、頂けれるという事です。
 だから、どんなに、今日は、出来る人は不幸せと、こう申しましたが、出来る人も、出来ない人も、なべてです、お取次ぎを頂いておかげを頂いて、自分ができるのじゃない。神様から出来させて頂きよるとと思うたら、おかげなんです。嫁ごが出来るの出けんのじゃない。自分が出来るけんち言うから、嫁ごの出けん事が、いわば、苦になっとおったのがです。こんだ嫁ごに、自分の知っておるだけのことは、教えさせて頂く事が、たまらん惜しゅうなってくるじゃろうと思う。
 私は、今日は、どうぞ皆さんがね。いうならば、お互いの心の中がね、いわる、清まっていない。だからそこに難儀を感ずるのだと。いわゆる、ここでは病気災難という言葉を使っておられるが、病気災難という事は、人間の持つ、様々な難儀という意味であろう。その、病気災難も、形の上の事もさることながら、自分の心の上に感ずる所の難儀。それは、自分が出来るから必ず難儀を感ずると。だから、自分が出来るのじゃない、神様のおかげで出来させて頂くんだという頂き方。
 それがすっきり出来た時が、あなたの心がすっきり、井戸ざらえが出来た時だということになるのですよ。心の井戸ざらえとは、私は、そういう事だと思う。それこそ、荒熊の駆け散らしてや笹の雪である。家ん中を、それこそ、かき混ぜられるようにです。中にあっても その次には、神様金光様と祈り願う所からです。その事がかえって ありがたいと感じられるようなおかげが頂けれる。
 上野さんとこの、いうならば、荒熊の駆け散らしたような感じで、ここ何日かを過ごした。けれども、そこにはですね、そこを一遍通らなければ、こげな嬉しい気持ちは起こるまいというような嬉しい心。神様にも心が向いただろう。楽のほうにもこりゃいっちょおかげ頂かなならんと思うただろう。一番、中で苦しんでおった佳子さんも、おそらく、昨日あたりは、心が解けた事であろう。
 そこから万事、都合のおかげが展開してくる。そういう繰り返しの中に、心の清まっていく稽古、心の井戸ざらえの稽古が出来てくる。そこから自ずと元気な心で信心せよと仰る。それこそ初雪を見て感じさせて頂く様な、子供のような嬉しい生き生きとした心が頂けてくる。私は敏雄さんの、私が昨日敏雄さんから感じた、あの嬉しそうな顔。今日私が初雪を見て心が弾んだその状態。同じ様なものだと思う。
 そこん所をです自分でどういう事は出来ないけえども、お取次ぎを頂いて願わして頂く所からです、そういうおかげが頂けてくる。為にはどうでも一つ、お互いが赤裸々に、ほんなら佳子さんが今日赤裸々なお取次ぎを頂かれたようにです。もう先生とにかくもう私じゃ出来ませんという事。神様のおかげを頂かにゃ出来るこっちゃないという事。宿貸せと刀投げだす吹雪かなである。そこからはぁすがればこんなにも楽なという 答えが出てくるのですよ。
 自分でしよう、自分がと言うところに、その人の助かりがない。いつまでたっても、出来れば出来るほど、難儀を感じなければならないといったような結果しか出てこない。と言った様な事を今日はねいつも、形の上での病気災難の根を切るということを頂きました。今日は心の上の病気災難。その根を切らして頂くために、まず出来ない私であるという自覚。神様のおかげを頂かなければ出来ないという自覚にたっての信心が求められてある。今日は、そういうところを聞いていただいた訳ですね。
   どうぞ。